分水嶺

嶺はただそこに在り、水を見つめる

過冷却水

仕事の一環で、実験用具を冷却するための水が入ったペットボトルを冷凍庫から出したり、また戻したりする。

そのとき掴んだペットボトルがまだ凍っていないことがあって、たまたまタイミングが合うとそれが自分の手の中ですーっと白く曇って、液体から半個体に姿を変える。

小学生の頃に理科の実験でみた"過冷却現象"と20代の中盤になって再び出会ったわけだが、これに自分はなぜか毎回感動する。というより、それが何か貴重なもののような気がして、過冷却状態の水が失われ、氷になっていくのが勿体無いような気がしてしまう。

ポカリスエットやお茶のペットボトルに、なんの変哲もない水道水が、その膨張に耐えられるよう8割ほど入れられただけのもの。ただ実験に供するため用意されたそれが、まるで自然界のイレギュラーを示すかのように、何かの意思かメッセージを持って、少しずつ姿かたちを変えていくように思える。

透明な水を軽く握ると、それが合図のように細く白い糸が次々と生成され、集合して最後には曇った塊になる。じっくり見ていると、その過程はなかなか美しい。

考えすぎ、変わり者のロマンチシズムだろうか。

毎日のように同じ作業をしているので週に一度くらいはそれと出会うのだが、毎回ちょっとした特別感と、同時に不思議な喪失感を覚える。

かといって、それで何かが変わることもなく、粛々と日々の仕事に戻っていく。自分も普通の大人になったのだな、と思う。でも同時に、そういう小さなことに覚える気持ちを失いたくはないな、ともおもう。